コリマー部族:ヤランドロスの象牙の玉座

ターシュの「双子王朝」についてはぴろきさんのサイトが一番よく説明しています。十五世紀、南方の山岳地帯に住み着いているクイヴィンの諸部族と異なり、同じオーランス人でありながら、ターシュ王国はすでに国家として広大な領土をもち、ルナー帝国と覇を競っていました。

ターシュの歴史

「貧窮者」アリムに始まって、ヤランドロス王に至って王権は強固なものになりました。グレイズランドの騎兵団はターシュの創立以来、王国を支援してきた勢力でしたが、ヤランドロスに退けられました。父王オヴァーティンと不和になっても、王権をヴィングコットの伝統(コーティグがヴィングコットを継いだように)の元に強化することを止めませんでした。

彼は北方セアードの地の主権を主張し、逆らう者は武力で従えました。当時ルナー帝国はペント人の侵略で大いに揺れており、ヤランドロスの野心を妨げる存在ではなかったのです。

グレイズランドの騎兵戦力の穴埋めをするために彼が用いたのはプラックスの騎獣遊牧民であり、またヤランドロス自身の軍隊も北東オピリ族から奪った馬を持つ騎兵を抱え、「突撃の鬼Chargecrazy」の異名を勝ち取りました。

多くのプラックス兵が彼に打ち負かされてターシュの傘下に下りましたが、不死のプラックスの英雄ジャルドンの登場で状況は一変します。ジャルドンは王に従おうとせず、プラックスの遊牧民を糾合して、当時のターシュ王国の首都であるバグノットに攻めかかりました。ジャルドンを支援したのがクイヴィンのオーランス人たちで、コリマーの王もその一人でした。

1440年ごろ、コリマー八代の王であるインタガーンは近侍の戦士たちを従えて、バグノットの城壁を夜のうちに飛び越えました。(大部分は殺されましたが)都は陥落し、ヤランドロスは捕らえられたようです。(「年代記」にはヤランドロスの最期について記述がありません。ジャルドンに殺されたのかもしれない。)

その後、ヤランドロス象牙玉座はコリマーの王の広間を飾るようになりました。(注1)

この時代のクイヴィン族は剽悍で、武勇で恐れられるが、まとまりを持たない集団と北の人々に見られていたようです。ジャルドンに対する復讐は、ヤランドロス王の友人で、クイヴィン族の出の「毛皮屋」デリクによってなされることになります。デリクはポル・ジョニ族を創始し、多くの無法者や祖先の道に馴染めない異邦人たちを受け入れて全く新しい共同体を作りました。

おそらくインタガーンやデリクの時代が、クイヴィンの諸部族の武力闘争が頂点に達した時代なのでしょう。その後、「平和もたらす者」サーターの到来で、クイヴィンの地の諸部族の独立の重要性は小さくなっていきます。

注1:1602年、ボールドホームの陥落の後に「象牙玉座」は奪還され、バグノットに戻ります。玉座はボールドホームにあったのかもしれないし、1602年戦後のコリマー部族の中立の保証としてターシュ・ルナー軍にカライ王あたりから差し出されたのかもしれません。

ランドロスは敗北しましたが、ターシュ王国の勢威はヤランドロスの没落後も続きます。彼の息子オライオスが狂気領の領土を侵犯して狂気を解き放つまで、ターシュの統一は続きました。