コリマー部族:ボーンゴールド王とヴァーマンディ


まりおん殿のグレッグの手書きの地図・記事に基づいて作成したコリマーの地図・記事です。


開拓者コリマーは氏族の者がヒョルトランドに戻るのを禁じましたが、完全に秘密にしておくことはできませんでした。「ドラゴン・パスは安全に入ることができ、事実上無人の土地である」ことが南に伝わると、移民の波が次々と北に向かいました。ある者はファラオ・ベリンタールを嫌って、またある者は新天地を求めて。ある者は無法者に過ぎず、厄介ごとを引き起こしました。(コリマーの集落は一度このような無法者に焼かれました。)

コリマーの死の前後、移民たちの多くは部族に属さない群小の氏族で、大所帯のコリマー部族、狂った戦好きの族長に率いられるマラニ部族、ルーンゲートのハイアロールの「三が一」の部族がこれらを取り巻いていました。三部族がクイヴィン山脈の西の麓の三大勢力だったのです。(注1)

Hero Quest Voicesに載っているヴァーマンディ氏族は群小の氏族のひとつで、長いことコリマー部族には加わりませんでした。それにも関わらず(グローランサの多面性を象徴しているのでなおさらなのですが)、面白いのはHero Quest VoicesのAski叔父さんがヴァーマンディ氏族を、「大昔からコリマー部族の一員であった」と主張していることです。

14世紀、開拓者コリマーの氏族は繁栄し、あまりにも人口が増大したので五つの氏族に分裂しました。オールマースOrlmarthi、コンタソスKonthsos、アーナールドリErnaldri、「アルノールの子らArnoring」、「ゼスノの子らZethnoring」です。これら血縁関係にある氏族は自然と部族を結成するようになり、クイヴィンの地で最大のオーランス人勢力となったのです。

部族の中で最初に王に選ばれたのがコリマーとヘレヴァの息子カグラドス王で、彼は強力な戦王でした。「多くの奴隷をもたらした」という記述があります。そしておそらくカグラドスの息子がボーンゴールド王です。慣習上ヒョルト人の間では親から子へと王位が継承されるわけではありません。

ボーンゴールドは二代目の王であるバーングラドス(コンタソス氏族の族長)と王位を巡って争い、おそらく負けたのでしょう。彼は「僭王」と勝った側の氏族には呼ばれています。

ヴァーマンディ氏族はボーンゴールド王に忠実であり、負けた側についたためにコリマーに所属する氏族とは認められませんでした。長いこと独立の氏族として存続し、再びコリマー部族に受け入れられたのは五十年以上たって15世紀の七代目の王、ロバサートの時代になってからだったのです。独立氏族としての年月には辛いこともあったようです。一時は「二つ峰の砦」のマラニの王に組し、またあるときはクリアワインのコリマーの側について生き延びました。

まりおん殿のサイトにあるヴァーマンディ氏族の領地に関する記事です。
ヴァーマンディ氏族 - まりおんのらんだむと〜く+


注1:この部族結成前の移民の状態を遊ぶのがKing of Dragon Passです。

また、King of Dragon PassのデザイナーDavid Dunham氏の参加したキャンペーンTaming of Dragon Passはこの時代を扱っています。(マスターはJeff Richard氏だったようです。キャンペーンログの場所)

同人誌Enclosure誌1号はこの時代を扱っていて、部族・氏族の地図が載っていました。