コリマー部族:レイカ女王の即位儀式

サーターが王国を樹立してから、部族の激しい動きはなくなります。最大の部族であるコリマーですら例外ではなく、サーターの血筋に逆らう王は滅び、多くのコリマー王がサーターのプリンスたちに従ってルナーとの戦いに赴きました。

しかし、1602年のボールドホーム陥落によるサーター滅亡後、ルナーの分割政策に則って、多くの部族が団結せずに独立した動きを見せるようになりました。なかでも嫌われたのが、文化・種族を異にするテルモリ族やダック族でした。

サーター王家の威信で保たれていた平和は、もろくも崩れ、コリマー二十五代の王、フィスティヴォスはテルモリ族の手で殺されたようです。

ルーンゲートの陥落後しばらくの間、コリマー部族は政治的にルナーの干渉を拒絶し、オーランス信仰を守りました。しかしそれもコリマー二十六代の王「岩砕き」カライが1613年、「スターブロウの反乱」に参加するまででした。(注1)

結局反乱は失敗し、指導者の一人、クルブレア部族の王ホフスタリングはシェン・セレリスの地獄に放り込まれ、「大兜」トナラングの率いるウロックスの戦士団は全滅しました。ルナー属領地軍の総司令官、「博識」ファザールは首謀者の亡命を許し、亡命したのはケルドン部族のカリル女王と、コリマー部族のカライ王でした。

カライの後、コリマーの王に選ばれたのが「オールケンソールの娘」レイカです。彼女に心酔している「青のミナリス」の贔屓目を除いても、歴代のコリマー部族の王たちの中でもっとも高名な王と呼んでよいかもしれません。(注2)

コリマー族のレイカバリスタという名の志望者がいた。彼女は苦難の時代に偉業を成し遂げた。混沌の巣に行き、それを討ち滅ぼすという古風な旅に出たのである。彼女は「狂える詩人の試練」と言われる悲惨な混沌の巣への侵入に成功し、他にも競争相手がいたにもかかわらず、前もって法的な準備もないまま、喜びに満ちた民衆によって女王として迎えられた。(日本語版グローランサ年代記310ページ)


イカ女王の即位儀式はWyrm's Footprint誌の104-106ページに掲載されています。レイカが「バリスタ」と呼ばれているのは、まるで人間のバリスタ(石弓の射出兵器)のように超人的な弓の命中率と、速い腕を持っていたからです。(注3)レイカは洞窟から「宝石の調べJeweled Note」という名の魔法の竪琴を持ち帰り、この宝物はコリマー王の宝の一つとなりました。(注4)

しかし、1615年に競争相手の「カグラトスの息子」カングハール(別名「黒い傷Blackmar」)が帝国の力を利用して、彼女の位を奪い、レイカは亡命します。このときブラックマーは黒樫の氏族を設立し、従兄弟のダーステンを族長に任命、アンマンガーン(黒い槍の)氏族の土地を与えたのです。

ブラックマーは「支配の輪」を押さえ、ルナーはナイミー谷に奴隷農場を作った。(日本語版グローランサ年代記262ページ:「青の」ミナリス、わが生涯の出来事)


イカは1615年から1625年の亡命中、ホワイトウォールのブライアン王に仕えていました。1621年、クリムゾンバットがホワイトウォールから撃退されたとき、レイカが活躍したようです。

イカは1625年の「ヤーンの竜」の目覚めによるブラックマーの死後、再びコリマーの王として受け入れられました。1626年、カリル女王が殺された後も、ルナーを「古き頂の戦い」で撃退しました。(注5)カリルの没後もレイカはコリマーの女王を続け、1632年には「ヴェンハールの息子」アーグラスとカランドリ氏族をレイカがコリマーの一員に受け入れました。(注6)彼女は1638年に「猟犬の丘の戦い」で討ち死にするまでコリマー部族の統治を続けたようです。
コリマー族は常にアーグラスを手助けしていた。その女王はアーグラスと同じほどに名高かった。名を”丘に隠れた”レイカといい、赤の王に追放されたが再び戻ってきて部族を奪回した女性である。(日本語版「年代記」264ページ)
注1:この反乱については指導者たちの輪を演ずる形のゲームをケイオシアム社のキャンペーンで実際に行ったようです。登場人物たちの描写がWyrm's Footprint誌にあります。

注2:ヒョルト人の王権について。Thunder Rebelsによると、サーター人の間に王と呼べる者のカルトは三つあります。
・「王」ダールDar the King
・「大王」ヴィングコットVingkot the High King
・「王者」オーランスOrlanth Rex
上記の王権のうち、「大王」ヴィングコットおよびオーランス・レックスの王は四つ以上の氏族を糾合した部族に推戴される必要があります。

History of Heortling Peoples 69ページによると、オーランス人の王権は大きく分けて2種類です。「ダールの王Dar King」と、「オーランスの王Orlanthi King」です。

このうちダールの王権はある指導者が自分の上位に立つ部族を認めない場合、(おそらくNo one can make me anything!と言える場合)「王」と呼ばれることを呼びます。(つまりどんな小規模な氏族の集まりでも王ということになります。おそらく他の文化の者にはこのニュアンスは伝わらず、族長や酋長と呼ばれるのが関の山です。)反面、オーランスの王は部族の評議会と部族のレガリアを持つ王のことを呼びます。

また、Thunder Rebelsには記述されていませんが、王になるのに部族の評議会に推戴されるほかに、試練が課されることがあります。平和の時代には形式的な儀式だけですみますが、有事には王は混沌などと戦って武勇を示す必要があります。Tales of the Reaching Moon誌18号によると、リスメルダー部族の王の場合、アップランド湿原への遠征を「王への試練」とすることが多いようです。

大王High Kingなど、部族よりさらに大きな共同体をまとめる王権もありますが、Youfにおけるヒョルト族の大王の断絶後、ヒョルト人の間ではいささかあいまいな地位です。過去、Glorantha Digestで盛んに大王の概念について議論が交わされましたHistory of Heortling Peoplesの王のリストを見ればわかりますが、オブデュランなどYoufの神秘主義者、サーターなどの「ドラゴンパス王」、ファラオ配下のGovernorまでがカウントされています。

前述のDarの例を見る通り、ヒョルト人の「王権」には、永続性を持たないことを美点とするラーンステイの哲学にしたがって、正統性という概念がもともとないのではないでしょうか。ダラ・ハッパ人やセシュネラ人の王権と対極であると思われます。

注3:彼女のもうひとつの異名、ベティBetiの由来は不明です。単なる愛称なのかもしれません。

注4:この洞窟はしゃべる蛇や大亀など出てくることからスネークパイプホロウのようですが、レイカが入ったときには奇妙なことがいろいろ起こったようです。

聖祝期に入ったことと関係しているのかもしれません。まあ、古い記事ですので、D&Dのダンジョンめいていますが。

注5:「女王たちの戦い」。グレッグのタイムラインによると、カリルはこの後シナリオのイベントで蘇生されたようです。

注6:「アーグラスのお仲間集(日本語版「年代記」206ページ)」のリストでレイカが市長Mayorと呼ばれている理由は不明です。これは英雄戦争に至ってコリマーの領土に都が作られ、サーター王国が魔術的に満たされたのかも知れません。

前述の「ヴェンハールの息子」アーグラスはサーターの一族ではないので、「サーターの火」を灯す資格はないし、オルトッシの血筋からして都市を否定するような気もします。


彩色されたコリマー部族の領土地図です。