グバージ戦争の年表

下記はHistory of Heortling Peoplesの36ページから37ページの記事の抄訳です。訳の誤りの責任はzebにあります。

410年ごろ:(セシュネラ軍を率いる)アーカットがタニソールの吸血王、「鉄の吸血鬼」グラカマガカンを倒す。
417年:アーカットが「セシュネラ軍対混沌十字軍大元帥」に任命される。
411年:ハルマストが18歳で入信する。「境界の戦い」。ハルマストの子供が生まれる。413年に1人。414年に3人。415年に2人、等々。
418年:ファランギオ、ラリオスでアーカットを殺害する。ケロフィネラとスロントスの総督と命名される。
420年:ハルマストの「光持ち帰りし者の探索行」。ハルマスト、27歳。
422年:ハルマスト、アーカットとともに帰還。「稲妻の反乱」。ラリオスの部族が自立する。アーカットが出発し、ハルマストは残る。帝国の反撃。
424年:ヴァンガンス丘陵の戦い。アーカットが騎士の軍勢とともに「カージョールクの群れを討つ」ため戻ってくる。アロンゴール王の勝利。非常に効率的な追撃。その後、大部分のアーカット配下の騎士と戦士は出て行く。
426年:アーカットがオーランス信徒に転向。オーウェンレスがヒョルト人の「高王」として選ばれる。[ドラゴン・パス地方]
428年:カートリン峠の戦い。アーカットが敗北する。
429年:(防御的な)「塔の壁」の建造。[スロントス地方で]カクストールプローズ市の攻囲はじまる。
430年:アーカット軍が川を下り海へ。海港の近くで集結。
431年:アーカットがスロントスに上陸。ハルマスト38歳。サードランドスの戦い、スロントス西部が敗北する。ステネントスの戦い、スロントス人が互いに殺しあう。
432年:カクストールプローズの戦い。決戦。ファランギオが援軍を迎えて指揮を執る。ヘンドリック王の「大いなる跳躍」のおかげでその日をしのぐ。
433年:アーカットがエスロリアを通過し、途中途中で解放を行う。「デストール峠」にて、トロウル族の大貴族であるコル・コールKoru Korと面会する。コル・コールは、「いかなる夜も、そして一度は全軍をもって、日中、偽りの君主たちとの戦いを」援助することを誓った。ヘンドレイキ軍は故郷に戻る。アーカット軍は南部のヒョルト人を解放する。
435年ごろ:多くの「ハルマストの息子達」が成年に達する。早期に戦で彼らは出会い、仲間となる。
436年:「四つの門の戦い」。斥候隊が「竜の背骨」山脈越えに失敗。
437年:「竜の口」をアーカットが通過する。不意を突く行動。
438年:「厨房の戦い」。[ターシュ地方]アーカットを止めようとする大きな動き。アーカットの勝利。
438年:「五つの争いの打撃Five Feud Strike」が始まる。[オルゴヴァルト部族]
439年:「灰の平原の戦い」[インフィステーリ部族の北の土地]。以前のベレネス部族の土地も解放される。ハルマスト46歳。自分の故郷のステッドに帰る。(訳注:偽者のハルマストが出たのと関係があるか?)
439年:ヘンドリック王の死。
440年ごろ:ヴェナースとヘナータ、キトリ族との悲恋。
440年:平和な年。
441年:恐怖の波。ドラゴン・パスに対する反撃。「クリークストリーム渡しの戦い」で侵略者達が滅ぼされる。クリークストリーム渡しの三つの魔術。「呑み込む大地」がブルーの群れを飲み込み、「エルマル神の矢」が飛翔者たちを倒し、「ハルマストの息子達」が壁のごとく敵に立ち向かった。
442年:アーカットの(小さな)軍勢が帝国に反乱を起こした地方の部族に支援され、「背骨」の北の国々を掃討する。
443年:戦王サンランスがオーランス人の軍を率いて、アーカットに北へと付いていく。西方人たちに「うなる歩兵どもthe grunters」と蔑まれる。(多くのウロックス教徒の聖なる儀式をけなしていた。[マーコス市の初期の記録による])記録はセアードを通過するアーカット軍、タラスター地方で得た援軍と、「マーコス市の会戦」に先立つ出来事について扱っている。
443年:「五つの争いの打撃」がオルゴヴァルト部族の弱体化と消耗のうちに終わる。[オルゴヴァルト部族の領土]
444年:「マーコス市の会戦」。テラリールの地にて行われる。帝国にとって決定的な勝利。(後の記録では)アーカットの再び軍を集めようとする努力と、ターシュ地方に対するテラリール全土での反撃について大半扱っている。その後、ウズの一団がアーカットを昼夜問わず護衛する。
444年:「ハルマストの子ら」が父であるハルマストに会う。そして殺される。ハルマストは(下手人である)自分の息子の死を命ずることができず、(訳注:恐らく邪悪なるヴェリブールVeribur)永久的な追放に処する。
444年:「北部同盟」がオルゴヴァルト部族を敗北させる。[オルゴヴァルト部族の領土]、氏族のうちいくつかは「北部同盟」に加わり、その他はヘンドレイキ族に加わる。
445年:「昼の雹の戦いBattle of Dayhail」。アーカットにとっての大勝利。シリーラ南部、現代のケリコールの近く。[ダラ・ハッパではハンガリウムHangaliumの戦い]。この戦いの後、軍隊は分割され、アーカットと共に一軍がドラストールに進軍(訳注:「真実(フマクト?)の軍」)。オランマダール戦王の一軍はダラ・ハッパに進軍(訳注:「オーランス軍」)。
445年:「オルゴヴァルト部族の」ハルマストが殺される。(訳注:この人は偽者のようです。)[オルゴヴァルト部族の領土]
446年:オルゴヴァルト部族が永久に消え去る。[オルゴヴァルト部族の領土]

以下、446年から451年:オーランス軍の活動。
446年:セアードの戦い。
447年:ヴィングコットの戦い。アルコス軍が打ち負かされる。そしてシャーガーシュが満足する。「シャーガーシュ神は生贄を受け入れたもう。そして二度とこの軍を襲わないことに同意された。」南方に強行軍。「エラストゥスの渡し」の勝者たち。そして「真実の軍」を救援する。
448年:「山羊の戦い」(オーランス人の勝利)。
449年:テラリールの戦い。
450年:「塔の都の烈風」[ユスッパ市](オーランス人の勝利)。ライバンス市を覆う氷。

以下、451年から459年:ダラ・ハッパ占領時代。
451年:アナレスト(アニレストゥ)皇帝、クィヴィンのヴァストルフ将軍に降伏する。
459年:ライバンスの蜂起。ハランゴット将軍は負けるが逃れる。「冷たき光が反乱に火を点す。」オルダナスト(オルダネストゥ)によって反乱は率いられる。セアードは占領されたまま。
460年:テラリール地方の自立。
465年:セアードが解放される。

以下、真実の軍(アーカット軍)の活動。
446年:アーカット、ドラストールに対して西に行軍する志願兵を募る。サリンズフォートの戦い。アーカットがナイサロールの軍に負ける。
447年:年遅く。アーカットが失踪する。真実の軍の撤退。オーランス軍によって救助される。
448年:年半ば。「トロウルの」アーカットが戻る。トロウル軍の集結。
449年:ドラストール地方の征服。
450年:グバージが滅ぼされる。ファランギオが戦場で再び現れる。

以下、ハルマストの活動。
448年:二度目の「探索行」。
450年:ラリオスで再び蜂起。テイロール卿と一緒に。オーランス人とフロネラ人の争いを止める。双方がカートリン峠とドラストールの攻撃に参加。「最終決戦」に到着。友軍のための地固めをする(この部分の訳不明。)57歳。自分の農場に戻る。
460年ごろ:ハルマストの孫たちが成人に達する。