ヒョルトの国と聖王国2

ヴォルサクシ族とウロックス教団
ヴォルサクシの諸部族は決してベリンタールの改革を完全に受け入れることはなかった。ヴォルサクシ族はたいていの場合軍事力で抑圧を受け、よく言って不承不承の臣下に過ぎなかった。1340年、ヴォルサクシ族の王(ラーンステイ教団の)「緑の」ハルドラード(訳注7)はホワイトウォールで「反逆者」ヘンドレイクに祈願した。(ヘンドレイキ人の王として戴冠することは失敗したが)ベリンタールとベリンタールの僕である「ゾンビーの王ども」に対して反乱を起こしたのである。ハルドラードは他の北部の部族に対して、自らを「大王」として認めさせるか強要して、ホワイトウォールの難攻不落の要塞に居を定めた。「戦槌の」グスティンのような英雄たちや多くの勇敢な戦士たちに援助されて、大王ハルドラードはベリンタールやその僕の僭称者の王たちからの多くの攻撃を退けた。

反乱はヴォルサクシ族が中心だったが、反乱と内戦はヒョルトランド全土で起きていた。避難民のいくつもの波がドラゴン・パスへと向かったがーある者の理由としては、彼らがベリンタールを憎んでいたからであり、またある者は同族の争いを避けるため、またある者はドラゴン・パスを自分たちの支配地にしたかったからであった。

内乱は多くのヒョルトランド人にとって苦難の時であり、ある者は単に反乱によって生み出された貧困から逃れるためにドラゴン・パスへ向かった。結局のところ、ベリンタールは不承不承にヴォルサクシ族の独立を認めることを強いられたが、定期的にヴォルサクシ族を従属下に置こうとする努力を行った。

ヴォルサクシ族はヒョルトランドの統治者たちにとって、襲撃や強盗行為で揉め事を起こす存在であり続けた。

もうひとつのヒョルトランドの統治者たちにとっての厄介ごとの源はウロックス教徒の一団と、頭のヤールたちで、「足跡」の付近の土地に野営していた。「足跡」の怪物どもに対抗するという重要な役目を担っているがゆえに、軍公Duxと配下の将校たちは彼らを通常大目に見ていた。しかし「ゲステネンの正義」(訳注8)の出来事を忘れてはならない、彼はウロックス教徒の存在に耐え切れなくなり、一年の間彼らを追放した。混沌が「足跡」から噴出してきた時、ゲステネンは四つんばいになってプラックスを縦断し、ブロックまで赴くと、彼らに戻ってくれと懇願したのである!

近年の歴史
「洗練された」オルンジェリンは賢明で公正であり、ヒョルトランドの平和を保った。オルンジェリンは1603年に芸術や学術のパトロンとして、また善行や上品なことに対する大きな期待と希望の元に総督に任命された。オルンジェリンはベリンタール抜きでは、自分が真の権力や権威を持たないことを決して理解しなかった。そして彼は確かにホワイトウォールにいる「異教徒の狂信者」−ヴォルサクシ族のブライアンにどう対処すればよいか考えを持っていなかったのである。1616年にベリンタールが失踪すると、オルンジェリンの知恵の数多くの弱点が、彼がかつて受けていた尊敬を圧倒したのであった。

オルンジェリンの死は(1617年初期の)ヘンドレイキ族の王と認められるための、ホワイトウォールのブライアンの成功したクエストの副産物である。ヴィングコットの剣と兜で武装し、ブライアンは六分国の守護霊たちを倒し、滅ぼした。そしてブライアンはホワイトウォールで、三世紀のあいだで初めて(訳注9)、ヘンドレイキ族の大王として認められた者となったのであった。

1617年の異邦人の傭兵である「虎の心の」リカルドのクーデターはベリンタールの失踪で起きた混乱に乗じたものであり、ブライアンの1617年初期の、ヘンドレイキ族の王への登位の成功に対する反応でもあった。多くの重要なエスヴラール人や都市部のマルキオン教徒はリカルドを支援した。これらのエスヴラール人や都市部のマルキオン教徒にとって、「アヴェントゥス王の異邦人の法」の下に再び置かれることは望ましくなかったし、暴力的で異教徒の狂信者に支配されることも望ましくなかった。ある者は非オーランス信者を王に頂くことはルナーの侵攻を妨げるだろうと信じていた。

王になると、リカルドは側面の脅威を取り除いた−「ブルの囲いBullpen」や「戦長の丘陵Styrman Hills」にいるウロックス教団のヤールたちの反乱であり、ウロックス教団はブライアンを支持し、リカルドは支持しなかったからである。リカルドとセシュネラ人の重装騎兵隊は多くのウロックス教徒のヤールたちを追い払い、後に「足跡」からヤブの女王国(訳注10)のスコーピオンマンたちが噴出してくるのを許す結果になった。

1617年から1618年の間には、ブライアンとリカルドの間に決定的でない小競り合いが数多く起こっていた。これらは襲撃や、偵察隊の調査や、略奪目的の遠征であった。

聖王国の軍隊
ベリンタールの主な目的は、ケタエラの六分国をまとめ、再構成することであった。ベリンタールは神王God-Kingたる彼自身であるために、六分国の統治者たちや、ベリンタールに仕える司祭たちから供儀(や崇敬、もしくはその他の信仰)を受けることを必要としていた。

ベリンタールとともに生きていた特別なグループがいくつかあった。例えばひとつのグループは「不変の守護隊Constant Guards」で、100人で構成されていた。1人戦死すると、死んだ者の力と魔力は生き残りのメンバーに渡っていた。したがって最後の生き残りは100人分の力を備えることになった。他のグループとしては、魔力ある子供たちで構成されていた「純潔団Innocent Band」などがいた。

ベリンタールは軍務をそれぞれの六分国の統治の義務から分離させた。神王はひとりの全軍の指揮官、「最高位司令官Maximum General」を抱えていて、それぞれの属領にひとりの軍公Duke(訳注11)を置いて、戦争に向かう軍公にしたがう者たちを組織し、命令を与える任務に就かせた。ベリンタールの軍事の基本単位は:

・兵士たちの首領Master of Soldiers、すなわち最高位司令官Maximam General
・兵士たちの首領の巡察使Deputy、首領の副官。
・それぞれの属領地からの軍事下位指揮官である軍公Duke。(ヒョルトランドには3つ、エスロリアには11、カラドラランドには1つの属領地があった)
・各地の「軍旗の保持者」(最小の部隊単位)。−たいていの場合、六分国の統治者に任命されていた。こういう「軍旗の保持者」はいくらか収入外の手当をもらっていて、実際に兵隊を召集する責任があった。可能な限り、六分国の統治者たちは、これらの軍の役人たちを地方の血族社会のグループから切り離そうと努力していた。(しかしヒョルトランドでは南部の属領地を除いて、たいていの場合失敗していた)

これらの軍事指導者たちは大部分、六分国の伝統的な社会組織の外に属していて、究極的にはベリンタールに臣従していた。

[英雄]サーターとヘンドレイキ人
サーターはヘンドレイキの「古の道」の後継者である。彼はドラゴン・パスにその目的のために行った。(さもなければ彼の子孫が実現するであろう)自らの故郷へと向かう長期的な計画のためであり、ベリンタールの圧政から故郷の者たちを救うためだったのである。



訳注7:Hardrard the Green、Barbarian Adventures p.9
訳注8:Gestenen、エスヴラール人のヒョルトランド総督、在位1453-1459
訳注9:ファラオの在位中は阻止されていた
訳注10:17世紀初(英雄戦争初期)、「ラーンステイの足跡」で勢力を誇るスコーピオンマンの女王国。女王の名前は「二つ鉤髭のガギックスGagix Twobarb」
訳注11:ウロックス教団の箇所でDuxと書かれていた指揮官のことか