ドラゴンの宗教の大要2

・インゴルフを理解する
インゴルフは「長き山岳のドラゴン」の流派の一員であった。この流派はオブデュランの伝統を受け継ぐ真の神秘主義的な結社だった。メンバーは瞑想にふけり、理論上はドラゴンの特徴を得ることができるが、瞑想と儀式的な脱皮の上でのみドラゴンの特徴を使うことができるのだということをわきまえていた。インゴルフは成功し、またドラゴンの特徴を決して用いることはなかった。彼は「偉大なるドラゴン」の位に生きている間に達した。インゴルフは生き方を変えた時、すでに「真のドラゴン」への変容の過程にあったのであるが、究極的には、失敗したのである。

インゴルフの失敗は、彼の持っていた最後の人間性のかけらによるものであった。それは彼のアランゴルフの中の「内なるオーランス」であり、他の人々が生きている上での苦難に心を寄せた。彼は自分の生徒であり、弟子であるオルネフレーン公子を助けたいと思う気持ちに動揺した。そしてその時まで使うことのなかった自分のドラゴンの力を使い始めた。引き返すように誘惑され、人間性への転落が始まると、転落は必然的なものになった。

彼にとってひどく無念なことに、結局全ての自分のドラゴンの力を顕在化してしまった。彼は社会から引退し、再び修行を始めようとした。しかし黒いドラゴンが現れて彼をさらって行ったのである。彼は「七人の仲間たち」を後に残していったが、彼らは解脱に達する方法を教えるよりは、信仰の足がかり(ステージ)となった。「インゴルフのカルト」は、「善良なるドラゴンのカルト」と呼ばれ、インゴルフによって救われた多くの人々の間で人気となった。しかし究極的には失敗であり、ドラゴンキルにおいて、全ての他の竜の信仰と同じく滅ぼされたのである。

・後期の宗教
太陽暦880年、EWFは、おおいなる転向を経験した。「永遠なる竜の輪」、「意思決定の輪」、「支配の輪」と呼ばれる支配者たちが自分たち自身の修行を促進させようと試みた。彼らは司祭の階層を生み出して、領土における全てのドラゴンの信仰に号令をかけようとしたのである。これは一神教のような信仰の鎖のつながりを作り出し、信仰の「エネルギー」を「永遠なる竜の輪」に注ぎ込むものであった。「輪」には九人の構成員がいた。(元々の十二人からなる「支配の輪」の数からの減少であることに注意。)

「意思決定の輪」の構成員は、それぞれが大体同数の人口をかかえていた地域の評議会の長であった。これらの人口は、多くの異なる種類のドラゴンの団体から成立し、「近道」や「俗信」の流派を含んでいた。これらの組織の長たち(もしくは長たちに任命された代理人)は、「無限との通辞の者Translator to the Infinite」に報告を行った。この者は団体からの信仰のチャンネルとなるべく任命された者であった。「無限との通辞の者」はその地域の「ドラゴンの代弁者Speaker to the Dragon」に報告を行なった。「ドラゴンの代弁者」は直接「輪」の構成員に話すことができる唯一の個人であった。「代弁者」たちは魔力の十分の一の取り分を受け取って、残りを「輪」のメンバーに渡した。「輪」の構成員は信仰の力を自分の修行のために用いたのであった。

この方式によって、イスガンドラングはすぐに「金剛石の嵐のドラゴン」ドラングとして信仰されるようになった。

多くの者がこれに抗議を行い、これは「意思決定の輪」を現世に束縛するものだと指摘した。フェレンスター、非常に尊敬されている神秘主義の隠者は尋ねた。「あなた方は神教の生贄を受け入れながらどうやって「真のドラゴン」として超越ができるのか?」

「輪」の元々の構成員の名前は後代には喪われている。第三期に記憶されているそれほど知られていない名前は、イスガンドラングや、「偉大なる」ビューリン卿、「丈長き」ローレンカルタルガン、「大いなる呑み込む者」フラルバルガルタンのみである。

確かにEWF後期のドラゴン軍の偉大なる破壊者たちのなん人かは「輪」の構成員でもあったが、彼らを識別するしるしとしては、カルマニアや、リンリディや、神知者の犠牲者に呼ばれた名前だけである。これらの中には:「赤き地獄の炎」、「巨大なスズメバチ」、「フェルザールの禍」、「ケレンの破壊者」、「ホヴァルマンドの君主」、「邪悪な黒いドラゴン」、「フェルの守護者」、「黒い翼の死」、「都市を潰す者」などなどがある。一頭のドラゴンがこれらの呼び名のひとつ以上で呼ばれていることはありそうなことである。

これらの個人は、人間であれ、ドラゴンであれ、みなドラゴンキルで滅ぼされた。

「永遠の竜の輪」の構成員で、求めていると自称するところの超越に達した者は全くひとりもいなかった。「超王」がそのことについて質問されたとき答えるには、「彼らは全員失敗した。彼らの目的は不純だったからだ。」

Excerpt from Greg Stafford's "History of Heortling Peoples" p.48-49