エンテコシアドの時系列

以下は2008年10月、WorldofGloranthaメーリングリストでグレッグがEntekosiadの「時系列」について教えてくれたことのzebの抄訳です。訳の間違いの責任は全てzebにあります。



君が理解しなくてはならないことは、全てのこれらの神話は理解を超えたものに対して、なんらかの理由づけを試みたものであることです。隠喩のみが、詩と神話の言語において用いることのできる唯一の表現なのです。

真実とはなにか?「絶対的な真実」について尋ねてはいけません。「実際になにが起きたのか」の質問なら考えられます。

結果は、2つの方法によって発見できます。
  1. 経験。儀式をおこない、なにが起こるか見ること。
  2. 既知の神話の集成を解析する。我々は意図的に理性ある人間の精神を「なにが起こったか」に対して用いることになる。(そして私は論理的に語ることはできませんが、この種の解析は特殊だからです。)
よろしい。ここまで来たら、方法2を使うのを避けることはできません。我々は考える人間です。もうすでに多様な物語に接してきている。それならどうやって合意を得られる簡便な分析にたどりつくことができるのか?
  1. なにかが起きた--なにか明らかにトラウマになりそうな出来事。
  2. 他にも悪いことが起きた。実のところ、なにもかも悪化した。万物が死に絶えた。死そのものすら死んだ。究極の消滅。
  3. なにかが起きた。我々は#2から救われた。我々は今もこのなにかを行っている。
これ以上の細部は特定の物語に完全に依拠しています。そして我々が知っている多くの物語はそれぞれ独立した古代の文化に由来しているのです。
  • オーランス人:トラウマ=ウーマスの死。悪=大暗黒と宇宙の滅亡。救済=「命持ち帰りし者たち」
  • ヒョルト人:トラウマ=定命の祖父と死。悪=大いなる冬。救済=ヒョルト。
我々がさらに泉に網を投げ入れるなら:
  • 神教:トラウマ=他の異界の眷属/衝突。悪=停止、変化、その他。救済=神々の復活。
  • 精霊:トラウマ=他の異界の眷属/衝突。悪=各地の災害。救済=シャーマンによる復活。
  • 精髄:トラウマ=化体。悪=マルキオンの死(霊の死)。救済=「砕氷」の呪文。
「エンテコシアド」はさまざまのソースから集められた物語の集成です。これらの物語は、概して、「Glorious Reascent of Yelm」に載っている編集され、合理化された物語より粗野で、未加工のものです。登場人物の舞台と習慣からして、より原始的であり、数多くの登場人物がいます。

これらのさまざまな物語は並列的なリアリティや時系列を持っていて、全て不可知の、人間が始まる前の意識から始まると考えるのが最善です。

そこでは我々の独特の思考の機能は同じようには働きません。

これらを「正しく」並べる方法はありません。

ヴァラーレ・アッディはエンテコシアドに書いてあるように物語を順に記述しています。ヴァラーレ自身の冒険は、それ自体創造的なものでしたが、これらの物語を経験したとおりのパターンに並べました。しかし他の「旅と遍歴の者TaJers」(ルナーのヒーロークエスター)がヴァラーレの聖地や、儀式や、出てくる存在を通して、個人的で独特な順序を結果として得ることはありうることなのです。(この一連の流れ自体、ティーロ・ノーリが成長してルフェルザとなり、セデンヤを自覚するようになったことの、ヴァラーレ自身の体験なのです。)

もう一点。これらの物語全てが同一の道徳的価値を持っているのでしょうか。詳しく言えば、これらの物語は儀式の参加者に対して、社会や、異邦人や、他の性別に対する同様の道徳観や義務を描写しているのでしょうか。

いや、そうではありません。

これらの物語のうち、どれが神教で、どれが精霊信仰で、どれが精髄信仰(魔道)に属しているのか。私はいつも確信があるわけではありませんが、これらの物語のいくつかを手始めにこのように定義づけましょう。
  • 神教:テュロスとオリアのサイクル。イドヴァヌスとジェルノティアのサイクル。バイソスのサイクル。
  • 呪術:デネロン人のサイクル。アロウ=トゥルArroTurru(訳注:丸太の民)のサイクル。オロジェリアとケンストラータのサイクル。
  • 精髄:スポル人、あとは今日「淡水海」がある地域周辺の原住民(概して他の民にデーモン化されている)。
いずれにせよ、私が意図して書いたのはこのようなことです。エンテコシアドは、つまるところ未完成の著作Unfinished Workであり、最終的な版では、ヴァラーレが参加した他の儀式も含まれることになります。これは(訳注:記述されている)「大いなる舞踏」と似たようなものになることでしょう。

わたしはこの返信を議論を止めるためでなく、盛んにし促すために書きました。全ての未完成の著作と同様に、最終的なバージョンのために変更する権利を私は持っています。