火の山Fireberg

タニアンの戦いの話は、後日談があり、神知者たちがこの時行使された魔術の影響をコントロールできなかった状況を示すものです。以下はMen of the Sea 57ページの記事の抄訳です。

718年、神知者たちはこれまで物語の中でのみ存在し、生きた神話には存在しないと考えられていたタニアンと呼ばれる存在を召喚した。タニアンは水の神であり、平和に天空の不滅の火の故郷に住んでいる神、ローリアンの息子であった。召喚されると、タニアンは燃える水の神であることを証明した。即座にかつ自然に彼の到来に備えていた大量の水流に火を点けた。この大火災で計画通り、大部分のウェアタグ人と(数千もの魚人やソファールのスンチェン人を含む)同盟軍が滅び、神知者たちを海の覇者としたのであった。

しかし後の影響は意図されたものではなかった。海の傷は広がり、ジルステラとブリソスの間に通行不可能な炎の海を拡大した。燃える海域は比較的止まっていたが、マガスタの渦に向かって流れる潮流に沿って広がった。数年後、燃える海の小さな塊がちぎれて、潮流によって螺旋を描いて流れ落ちていった。次に、より大きな塊があとに続き、四年間の降下の後に、最初の塊が轟音を上げる世界の中心のマガスタの渦に落ちていった。二番目の塊が渦に落ちていったのは二年後だった。大きさはさまざまな塊が不規則な時間を置いて後に続き、漂いながらマガスタの渦に落ちていった。最後には、火の海の全てが地界に滑り落ちていった。ジルステラ人の哲学者たちは、火の海が起源である天の川ローリオンの元に昇っていくと信じた。

哲学者たちは819年、最初の火の山が戻ってきたときに、自分たちが間違っているということを悟った。世界の果てを昇り、ショーグ潮流に乗って静かに北に流れてきたのである。「遠視」や「精霊界の旅」を通して、ジルステラ人たちは火の山が生きた火の島へと変容したことを発見した。完全な山や川や、火でできた生物や存在が、火の中で不可解な生を営んでいた。火の山はあまりにも高熱で船は近づくことができず、火の山がアヴァンスゴースの島をかすめたとき、この島は消え去った。四年後、二番目の火の山は二百マイルの幅があり、世界の北の端を昇ってきてバンザ海に入り、ブリソス島に向かった。

ウマリアースと呼ばれるこの第二の火の山の進路を変えようとする最初の努力は無駄だった。慌しい協議の後、神知者たちは自分たちを以前の敵である海の神々と同盟する二つのクエストを行った。ひとつのグループはタニアンが火を支配する水の神であり、燃える水の火の神でないことを証明するために宇宙を探索した。このクエストは失敗した。第二のグループはアートマル人の「赤き船」や、三つの「氷の兜」、「鉄よりも硬き長靴」を集め、燃える大陸に侵入し、その火勢を弱めた。ウマリアースはブリソスにはむかわず、再びマガスタの渦に落ちていった。

「大閉鎖」の間に起こったことについて確信がある者はいない。しかし多くの者は火の山が世界の大洋に出没し続けていることを信じている。すくなくともひとりの魔術師は霊視でウマリアースが戻り、ブリソスを破壊したところを見たと主張している。このことの真偽は不明である。しかし事実、「開洋」のときにブリソスの島はなくなっていた。

以来、火の山は世界の外の縁から現れて中心へ向かうようになった。多くは無害な進路をたどるが、おそるべき少数は人の住む陸地を危険にさらし、当然ながら大きな魔術の努力を通して進路を反らされている。多くの哲学者たちがウマリアースが再び現れると信じており、次にどこに現れるか捨て鉢に調べている。