ローマ的ルナー帝国2

ローマ的ルナー帝国2
性懲りもなく続けてみます。

同じ点
・ヴュクシルム(連隊の軍旗)
ローマ帝国で用いられていた四角形の軍旗のことをvexillumと呼びます。それぞれの連隊が独自の軍旗を持っています。ルナー帝国では連隊の守護霊(ラーレスLaresと呼びます)が宿っている軍旗をヴュクシルムと呼んでいます。これは明らかにルナー帝国がローマ帝国そのままの部分といってよいと思います。

そしてルナー軍が諸外国に対して有利なのも、このヴュクシルムの恩恵だとしています。(Under the Red Moonによると、フェレショールのカルトがヴュクシルムの管理を司っていますが、ルール的にラーレスと他文化のヒーローバンドのガーディアンがどのように異なるのかは明らかになっていません。)

このことは次の戦術の項目に関連しています。しかし、問題なのはこの体制がシェン・セレリスの時代以降のものであることですか。


・戦術(オーダーミックス
厳密にいうとローマ由来ではなく、マケドニア由来ですが、強みとして、複数の兵種を組織的に運用できたことが挙げられています。(これはルナー帝国でも同様でしょう。多種多様な兵種(軽装・重装歩兵と軽装・重装騎兵)を戦況によって使い分けることで効率的にコントロールできるという)

ただし、グローランサでは兵種のバリエーションとして、さらに魔術が挙げられます。ルナー帝国では前述のヴュクシルムを用いることによって魔術兵種の運用が可能になっているようです。下記はグローランサ年代記(King of Sartar)からの抜粋です。

「だが、アーグラスは競争相手の中でただ一人新しい考えを持っていた。アーグラスはばらばらの集団を共通の目標……すなわちサーターの解放のために協力させる組織を作った。彼はいかにして新しい軍事組織を作るかを教えた。それは半ば氏族、半ば儀式のようなものであった。彼は非常にさまざまな人を集め、一時的な間に合わせの精霊を作り出した。この精霊は、人々が個別に発揮する力を合せたよりも、もっと大きなことができた。アーグラスは、こうすればかつて強大なルナー魔術学院がサーターの部族軍を圧倒したときと同じようなことがこちら側にもできるのだと人々に示した。」(日本語版 p.188)


アーグラスはルナーの敵ですが、これがルナーの真似だとしたら理解していただけると思います。アーグラスのこのような連隊のうち、イーグルブラウンは神教と呪術をミックスさせることが可能だったのです。

・盟(League)と門閥(Association)
ローマ帝国にはクリエンテスとパトローネス(親分と子分)の関係が社会の縦軸として厳然とありました。これは世襲であり、都市共和制の枠組みとは別に存在していました。おそらく頂点に達したのがマリウスとスラの闘争や、共和制末期の三頭体制でしょう。親分は子分の便宜を図ってやり、子分は親分に対して伺候しなければならない。

この任侠的(ちょっと他に表現が思いつかないので)な枠組みは、ダラ・ハッパの盟に少々似ています。門閥カエサルポンペイウスの三頭体制みたいなものでは?利害関係が一致しなくなると同盟は解消されてしまう。ルナー帝国には都市民主制としての選挙もないので意味合いは異なりますが。

・大建築物
まりおん殿やVampire.S氏が触れているように、ルナー帝国は前期と後期で体制が異なります。もっとも顕著に違いが現れるのが建築物でしょうが、前期王朝に関してはシェン・セレリスが多く破壊してしまったようなので、被害を受けなかったシリーラのジラーロや、「娘の道」が純粋なルナー建築と言ってよいかも知れません。私個人としてはゲルマン大移動以前のイメージですが、グレッグがどうイメージしているのかはわかりません。


シェン・セレリスの破壊の後、ホーン・イールが「愛書家」「石と話す者」グレヤとともにダラ・ハッパの都市の建築物の再建を行いました。(このことについてはグレッグ・スタフォードの小説に載っているようですが、私は未読です。)多くのペランダ様式の建築物が建てられたのは後期帝政なので、これはギリシア的な様式を多く取り入れたビザンティン的様式といってよいのかもしれません。

いや、でも写実的な描写がビザンティン様式のほうで行われるのはおかしいな……。よくわからない。この課題はStafford Library待ちです(笑)。


あと挙げられるのは、マグニフィクス皇帝の顎鬚のエピソードがハドリアヌス帝のことを連想させること。またImperial Militaryにある兵士の退役制度(ヴァッロ)のこともありますが、そこまで突っ込む気力はないのでご勘弁を。

異なる点

・選挙
ローマにおいて顕著だったのは都市国家民主制としての体制の維持でした。(実質は広大な属領を持つ専制国家でしたが)、都市創立の伝説にあるとおり、ローマはタルクイニウス王の暴政を排除することで始まったので、専制というものに大きなアレルギーを抱えていました。

その逆に、ダラ・ハッパでは皇帝が拒否されたことはありません。また、後背地を支配する都市国家としてのダラ・ハッパは私見ですが、(おそらくデネシオド王朝(690〜878ST)の内乱時代以前に)その段階をとうに過ぎていると思われます。なにしろコルダフ皇帝自身トライポリスの生まれではなく、コースタディの貴族だったはずです。Tales of the Reaching Moon #16号で扱われていたRed Emperorカルトの形で現れていたクルスス・ホノルム(栄達への道)も、グレッグ・スタフォードに否定されてしまっているので、ギリシア的な意味で市民権が発達したことは一度もなかったのでは。


光輝(Radiance)
ルナー帝国の政教一致を体現している組織。これはローマ帝国にパラレルはないと思われます。強いて言うならビザンティン以後の教会ですが。これはグローランサでは魔道社会のイメージなので…グレッグがどこまでササン朝をイメージしているかわかりませんが、ゾロアスター教に関してはあまりにも歴史的な資料が不足しているといってよいと思います。(ササン朝にはゾロアスター教の統一的な教会組織があったようです。)

アナクロニズムと誇張
あと言えることは映画などで紹介されているローマ帝国のイメージが、必ずしも史実に即していないことです。たとえばローマの兵士が映画で身につけている赤いマントは、当時は染料は非常に高価だったため、百人隊長以上しか身につけていなかったとのこと。(もちろんルナー帝国ではその問題は解決されているかもしれません。)

あぶみはローマ帝国時代にはまだ発明されておらず、騎兵の機動力は限られていました。それに反して、ダラ・ハッパではカストック将軍(560-580STに活躍したダラ・ハッパの将軍)が広めてから、鐙をつけていない騎兵はおそらくいないと思われます。この点では、ルナー帝国はローマよりも技術的に進んでいます。

・人口と領土
アウグストゥス帝治下の人口は類推ですが4500万人。五賢帝の最盛期は6500万人。コンスタンティヌス治下が5500万人とか。

ルナー帝国の1621年時点での人口は843万人、少ないですね。

領土の広さについてはそもそも地図の縮尺が間違っているという説があり、またこのことを集中的に扱っているサイトもあるようなので割愛させていただきます。

[つづく]