天空の崩壊2

以下の天体の動きに関しては、Glorious Reascent of Yelmの著者プレントニウスPlentoniusの政治的考えがかなり入り込むことになるので理解が難しくなります。

この人はコルダフ王朝の御用学者です。

10)徐々に空に星が戻ってきて、明るくなりカルグザントとシャーガーシュとダラ・ハッパ人に目される天体が星見たちに見つけられます。(注5)

このうちカルグザントは、当時ダラ・ハッパを支配していた騎馬遊牧民(ジェナロング王朝)の守護神として崇拝され、シャーガーシュは「殺し屋」、「奴隷使い」と呼ばれていたアルコス人の守護神でした。

このころ、青いメギツネの(ユールルダUlurda)星が天に昇りました。後にルナーが月のひとつとこの星を呼ぶまではほとんど重要視されませんでした。

11)Glorious Reascent of Yelmによると、カルグザントとシャーガーシュが天上の覇権をめぐって争ったとありますが、これが文字通り、天上で星が争いあったのか、それとも信者が争ったのか定かではありません。(私としては後者と考えています。)

シャーガーシュは南道(注6)に動きを制限され、カルグザントは依然として比較的勝手気ままに天上を動いていたことが示唆されています。

12)「曙」。この嵐の蛮族たちにとって、自分たちの神(オーランス)の優位性を示す出来事で問題なのは、ダラ・ハッパ人がこの年[太陽暦0年]を取り立てて重要視していないことです。

はじめて太陽が昇ったといいますが、太陽といえるほどこの時代に光を発する天体はなく、夜と昼はまだまだ不分明でした。

おそらくこの時代に、太陽と目されていた天体はカルグザントだったのかもしれないし、「先駆星」(注7)だったのかもしれません。ヒョルト人はこの星をエルマルと呼んでいました。

最初のうち、「先駆星」とカルグザントは完全に黄道の反対側を動いていました。すなわち片方が沈むと、片方が昇っていたのです。しかし徐々に二つの距離は縮まっていきます。

13)「くつわの合Bridle Conjunction」、Glorious Reascent of Yelmにおいて、[太陽暦111年の]もっとも大きな謎がこの出来事です。というか、プレントニウスは、この年に初めてアンティリウスが昇ったと主張しています。(注8)

この年、カルグザントと呼ばれた太陽が先駆星に蝕を受けました。私の推測ですと、先駆星がカルグザントと蝕になり、二つの星が重なったまま沈みました。

そして(どれだけ時間を置いたかはわかりませんが)太陽(プレントニウスによると、アンティリウス)が昇りました。この時から昼と夜ははっきりと別れるようになり、先駆星が昇ったとき、空は暗いままになりました。(注9)

14)「イェルムの再昇天」、この出来事は正直、天体に変化があった出来事ではありません。

御用学者のプレントニウスは、コルダフの即位を、イェルムの帰還としたかったのでしょう。

といっても、太陽に変化はなかったものと思われます。

それにFortunate Successionでは、イェルムの再昇天を、コルツァネルム大帝の治世の「太陽停止」(375ST)であるとしているようです。いずれにしても、いつイェルムが昇ったかは、ダラ・ハッパ人以外の民が関心を持ったことはないのでしょう。

注1:この天蓋の中心がスパイクなのか、Yuthubarsなのかは議論の余地があるところです。

昔のGlorantha Prosopaediaでは黄金の時代、天空の神々は自由に動き回っていたと書かれていた記憶があります。

しかし、黄金の時代をStagnant Ageと呼ぶオーランス人や、秩序を愛するダラ・ハッパ人らしい考えとは言えないと思います。神知者の挿入した考えではないでしょうか。

注2:イェルムの十人の子らのダラ・ハッパ名は「神々の壁」の第一層の2番から11番に列挙されています。

問題なのは、Glorious Reascent of Yelmに載っている十の天体の名称が、おそらくこの十神のいずれかに照応していることを示唆しているものの、シャーガーシュを除いてはっきりとは示されていないことです。

注3:カルグザントは、騎馬遊牧民の太陽神です。カルグザントとイェルムの天体は、かつてはっきり分かれていたのであり、カルグザントはイェルムの子らの一柱であったと、ダラ・ハッパ人は主張しています。

そしてなにが起こったのかは、見方によって異なります。

注4:この「ウーマス、大いに天宮を騒がせる」のオーランシーの視点の神話は、Thunder Rebels p.142に載っています。

そしてウーマスを騙したとされる「白き神」Zenfelこそがゼイテネラスではないかと思われます。

注5:オーランス人のいう「銀の時代」。この時代は徐々に星は戻ってきたものの太陽といえるほど明るい天体はなく、夜と昼の区別ははっきりしませんでした。

注6:南道がどういう軌道を描くのかはルナー帝国の時代になるまで分からなかったという話です。つまり、カルグザントはそれ以上に不規則な動きをしていたということでしょう。

注7:この現在もある惑星の謎について列挙するのは今回はやめておきます。ただ言える事は原作者のGreg Stafford自身、意図的に先駆星とアンティリウスを混同させようとしているということです。ちなみに天体のルーンは両方とも同じ形をしています。

この時代の太陽を肯定するダラ・ハッパ人はアンティリウス、もしくは先駆星と呼び、否定するダラ・ハッパ人はカルグザントと呼ぶのではないでしょうか。ちなみに、Broken Council Guidebookの年表では、太陽暦0年に昇った太陽はアンティリウスであると書いています。

Bridle Conjunctionについて調べたい方は、Glorious Reascent of YelmのPage 42(Anarchy Yearの記事), Page 57(Lightforeの記事), Page 83(Young Godの記事)を参照してください。はっきり言ってますますわけが分からなくなること間違いなしです(笑)。

注8:この嵐の時代の守護神の名前が太陽に付けられたのは、アンティリウスがイェルムの先触れであるという、ダラ・ハッパの神学に基づいているのでしょう。

注9:おそらく、騎馬遊牧民は、この出来事を、逆にカルグザントが先駆星、もしくはアンティリウスを飲み込んだ出来事として記憶しているのでしょう。「くつわの合」とこの出来事を呼ぶのは、カルグザントが馬神だからです。