バイソスの神話2


ケレウス公子
ケレウスが二人の長男でした。ケレウスは自分たちをエネルヴィEnelviと呼んでいる民の王となりました。彼らは今日ヴァンスタル(注1)と呼ばれる土地で暮らしていました。ケレウスは神官王の王朝の創始者となりました。この民は自分たちをケレウスの民Kereusiと彼にちなんで呼ぶようになりました。彼らは「雄牛の踊り」を有名にした民であり、後に自分の部族をヴァンスタルに導きました。

ケレウスが成人に達すると、ケレウスは母のエススがどれだけうまくやってきたか伝えるため、母の部族のもとに使者として向かいました。ケレウスがその地の牧草地に着くと、母の部族が南方オレンダナラ人(注2)に虐待されていることを聞いて怒り狂いました。しかしウェンダリア人はなにも求めようとしませんでした。デディ・ヴァカ・ルは戦いではいつも勝ったからです。

ケレウスは自分の家族のいるところに帰り、家族の前でわかったことを話しました。エススは自分の兄たちがみな死んだことを聞いて泣きました。ケレウスは行ってこの殺人に対する正義を求めるための物資を求めました。ヴィスタン王(注3)は自分の半数を兄弟に与え、行ってやるべきことを行うように言いました。ケレウスは戦士全員を外に呼び出し、戦支度をせよと命じました。彼らはケフ・タヴァルに祈りを捧げ、女たちは幌車を準備して、雄牛を前につなぎ、雌牛を後ろにつなぎました。子供は真ん中に集められました。

ケレウスは彼ら全員をデディ・ヴァカ・ルに率いて行きました。そして戦いがあると雄牛の民が常に勝ちました。そのため、青い民は負けたときにいつもやることを行い、船に乗って逃げ出して攻め手を後に残して行きました。しかしケレウスはそこから去る代わりに、自分の家畜や幌車や牛たちと留まりました。そのため、オレンダナの民は寄り合いのために戻ってくるたびにケレウスたちを見つけて、逃げていかざるを得ませんでした。その期間、多くの民がオレンダナラ人と交易するためにやって来ましたが、その代わりに彼らはケレウスと交易するか、全ての品物を奪われるかのいずれかしかありませんでした。

終いにはオレンダナラ人は、自分の祖先の地である特別な儀式をおこなう為に戻ってこざるを得ませんでした。彼らの長である、ヘクソルヴ王エススの兄達の死の償いを支払おうとケレウスと取引しました。この償いの一部には妨害されずに「淡水海」を航海できる権利と、(鉱物や金属を除く)育つが話す事のできないいかなるものも収穫することが出来る権利が含まれていました。それ以来、水の上にはオレンダナラ人はもはやおらず、アラ・マバカリ・サロ(注4)が「淡水海」の民となりました。

この平和の条件の一つは、デディ・ヴァカ・ルがケフ・タヴァルの大神殿を建立し、維持することが含まれていました。このことで「雄牛の民」に故郷を与えることとなりました。「青い民」が多くの世代の後に海面が上昇してもこの神殿を維持し、洪水が西部バインドル地方を襲い、神殿の都(注5)を沈めました。

注1:Vanstal。ペランダの西方、淡水海南方の丘陵地帯
注2:South Orendanarans。今日でいうところの淡水海のほとりで暮らしていた民の別称。(もしくは別の民:訳注)
注3:King Vistan。王統譜によると、エススの子らよりも由緒ある家系。このことはエススの子らが自分の母の故郷に戻って権利を主張した理由となるか
注4:Ara MaBakariSaro。「淡水海の水夫たち」を意味する。歴史的に多くの種族が淡水海のほとりで暮らし、時代とともに代わっていった。(後述)
注5:私(訳注:ヴァレーレ)が聞いたことによるとこの水中の神殿はいまだに存在し、青の民が住んでいる。彼らは雄牛信仰を維持し、バインドルの公子と雄牝の牛のため、春と秋に取引をおこなう、そして牛を水の底に連れて行くとのことである。