ローマ的ルナー帝国1

ローマ的ルナー帝国
「ルナー帝国はローマ帝国に似ている」
→「いや、むしろ東ローマ(ビザンティン)帝国かな」
→「ローマじゃない、ササン朝ペルシャだよ」
と東へ東へと変遷してきましたが、漠然としたイメージからそう言っているのやら、宗教・文化・軍事、どの視点から言っているのか、グレッグならぬ身もちろん分かりません。(グレッグ自身わかってないのかも。なにしろShamanだし。)

とりあえず、ローマ帝国とルナー帝国、同じ点と違う点、ラフにですが挙げていってみます。(体系的にローマ史を学んだわけではないので、間違っていたら指摘願います。)

同じ点
・広大な帝国
両方とも広大な帝国に多くの民族を抱えています。とくに属領地政府ではローマと同じように「分割して統治せよ」のモットーのとおり、不公平な待遇をし、民族間の不和をあおって、団結させないという手段をとっているような気配です。

・服飾:トーガ
ダラ・ハッパ帝国の話になりますが、グバージ戦争後のエルツァネストゥ王朝(484〜677ST)で、「古代の服装」ということでトーガをまとった元老院が各都市の代表ということで集められました。少なくともこの時からトーガ着た人が帝国で見られるようになったとのこと。

なんでも、Imperial Militaryの記事だと、身分が高い人ほど慎みのため裾の長いトーガを着るとか書いてあります。


・宗教の寛容
ルナー帝国では、赤の女神(と啓発)を認める限り、旧来の宗教に対して寛容です。この点ローマ帝国の、貢納さえすれば異国のパンテオンも簡単に取り込み、習合していたのと似ていますね。

ローマ帝国ではキリスト教は、反社会的ということで認められませんでしたが、これは「白い月の運動」ときわめてよく似ています。


・ヘレニズム文化の導入
ペローリアでヘレニズム的文化の発祥地というとペランダですが、いつごろペランダ文化の輸入がはじまったのか、Imperial Militaryの記事を読んでもはっきりしません。記事が尻切れトンボになっています。

(ただし、これは2001年の記事ですし、イサリーズ社を私が訪れたときに、グレッグのペローリア文化に関する膨大なノートがあったことは確かです。今どれだけグレッギングされているかは、グレッグ本人しかわからないかも)

そして現実のローマですが、小アジアから来たとかいわれるエトルリアというよく分からない先行文化があって、その上でローマが始まっているので、こちらも話はややこしくなります。どちらもいつから導入が始まったのかはっきりとは言えないのではないでしょうか。

異なる点
・帝政
ルナー帝国は政教一致の神政で、世俗的だったローマ帝国のプリンキパートゥス制とは乖離しています。(もちろん魔術的なグローランサと、現実世界の違いを考慮に入れなければ、の話です。)

ローマでは単にImperatorとは軍司令官を意味していました。(もちろんビザンツ帝国のドミヌスは別ですが、これはペルシアの影響という話ですね。)

古代ダラ・ハッパ語では、皇帝はErn Azali Baka Est Ja...「生と死を名づける者(区別する者)」の意味のようです。かなり祭司的な意味合いが強い。かつ、ペルシア的な意味で、絶対君主が天の代理人として君臨していることが、ササン朝と似ているというゆえんでしょうか。

・海がない
ローマが君臨した「われらの海(マーレ・インテルヌム)」がない。白海や淡水海はありますが、これは寒い水ですので、基本はルナー帝国は陸戦の国と考えていいのではないでしょうか。

河川交通に関しては、むしろローマより先行する文明(バビロニアやエジプト)がパラレルとしてふさわしく思えます。

元老院
トーガの項で述べましたが、ダラ・ハッパの元老院はまず帝政ありきからはじまったので、ローマ帝国とは逆です。

[つづく]