ダージーンの歴史



ダージーンの歴史
ダージーンでは、「マニマト(Manimat)」とは今日「君主」と同義である。複数形「マニマティ」(訳注:以後、マニマト王家)は歴史時代に至るまでのもっとも成功した「英雄の王家」の名前でもある。

この単語は今日ではあいまいに先史時代のダージーンを統治していた家系全てを含む意味で用いられている。

最初期には、マニマト王家は北方系と南方系の二つの系統があった。この二つの系統は明らかに他の英雄王家を含んでいる。大部分の系統は結局のところ滅びたり、マニマト王家の支配下に入ったりするようになった。

(訳注:下記の古代都市の地名はGROYのP.34-35の地図に散見されます。ダージーン人はダラ・ハッパ人と違って、マニマトがひとりの人格であったことを否定しているか、重要視していないことに注意してください。)

ダージーンの第一王朝
この王家はダール(Dar)の子孫である。実際のところマニマトの子孫ではないのだが、拡張された定義では後続する者たちに含まれることになる。彼らは最初期の伝統を定めた。

彼らの最初の首都はダロコン(Darokon)だったが、山が崩壊したときに放棄された。彼らの第二の首都はダラカ(Daraka)で、この都と王家は侵略者の半数を石にしたものの、怪物たちに滅ぼされた。

ダージーンの第二王朝
ニマット(Nimat)の子孫。系統上、最初のマニマト王家の支族である。彼らの首都はアカニマタカ(Akanimataka)だった。この王朝は戦いで滅びた。

ダージーンの第三王朝
デズ(Dez)の子孫。第二のマニマト王家の支族である。彼らの首都はデゾコン(Dezokon)だった。この王朝は成功していたが、「敵の王朝」と戦争していた。

敵の王朝
「邪悪な王」はダールの子孫の可能性がある。アカニマタカを首都としていた。彼は北方の民を結束させた。

「邪悪な王」は第三王朝によって不当に扱われたと主張し、戦争をはじめた。最初のうち、彼の王家は南方の部族を滅ぼすのに成功していたが、非人間の同盟者に裏切られて、終わりには凍死し滅亡した。

第四王朝
この王家が実際に自分たちをマニマト王家と呼んだ最初の王朝である。何度かの移住の後、ドゼスマス(Dzessmath)に首都を定めた。先史時代を通して征服されなかった唯一のマニマト王家の都市である。

強力なマニマトのブローチがこの都市の守護力であったと考えられている。ブローチのおかげで彼らはいかなる襲撃や試練をも耐え抜いた。打倒することが不可能な敵が到来したとき、ブローチによって都市の住民は全て眠りについた。

守護者アグサルド(Agsardo)は眠りにつき、彼の腕は最後のシュール・エンスリーブの卵を抱いていた。

この卵が孵化したとき、女神自身が姿を現した。

全ての者が眠りについている時、シュール・エンスリーブは死者を食べて、眠っている者に唾を吐きかけた。彼らは再び覚醒した世界に目覚めた。

アグサルドは「シュール・エンスリーブの王」と号し、第四王朝の血は存続した。最後のアグサルゴンの民はマニマト王家の者で、彼らがコルダフ帝によって征服された。

Material From Enclosure #1, Excerpt From "Weeders" By Greg Stafford