不変の書と預言者
下記はVampire.S殿のコメントからの抜粋です。
私が述べた意見は、MSE等最近のマルキオン教に関するテキスト(例えば、 http://www.glorantha.com/greg/abidingBook.html )を参照すると、不変の書には“Joy”に限らず、フレストル王子の業績が一切触れられていないのではないか、というものです。
ところが、不変の書の成立経緯を考えると、これは相当気味が悪い。不変の書は、S.T.646年にジルステラ系諸都市国家間の神学論争が最高潮に達した瞬間、突如として出現した書物です。
その内容は、それまで相互に矛盾すると思われていた多数の教説に対して、それらの内重要な特性は全て真にできるような真理値割り当てが存在し、マルキオン教神学の共通公理として疑う必要がないというものです(Glorantha: the Second Age の解説を要約すると、そんな感じになる)。
しかるに、この時ジルステラに会合していたマルキオン教徒達は、ブリソス諸派(ブリソス、ヴェイデル、ウェアタグ等)ではないという意味で、全て広義の原フレストル派に属していると推定されるにも関わらず、前の仮説はそれら教説の集合体にはフレストルの業績が欠けている、という事態を招きます。
これら二つの仮説を仮に矛盾無く組み合わせようとすると、
・『不変の書』成立において問題になったのは、“フレストル王子を訪問した“預言者マルキオン”と創造主との間の関係は、なんであったのか”など、マルキオンと創造主の関係に絞られていた
・フレストル王子の業績については、何らかの形で既に疑いの無いものが存在した、または逆に、共通見解の存在は最初から放棄されており、いずれにせよ議論の対象として適当とみなされていなかった
などをさらに仮定することになりかねず、かなり困った事態だな、と感じます。
そこで、この辺りの混乱は後々グレッグの介入で正されると考えると、MRQみたく“現在明らかになっているマルキオン教系テキストの直接の結果”として第二期のマルキオン教を考えるのは、危険だなと感るのです。かなり大規模なグレッギングを覚悟するべきではないかなぁ。例えば、Malkioni True Church の聖典は、“マルキオンの書=不変の書”と“フレストルの書”の二本立てだったりしそうで……
Greg's Post in WorldofGlorantha-mailing list 2007年3月
The essay, kept intact below for reference, is a perfect example of what happens within Glorantha and, especially, my own creative efforts.
That is, things change.
We learn more.
They are added to Glorantha.
It is a creative realm, meant as a place to have fun and explore possibilities, to make changes and track their consequences.
Thus I discover that Loskalmi Irensavalism rejects the Abiding Book, that there was a Fimbulwinter in Dragon Pass and any other number of changes come about.
I do apologize for the havoc these may wreak in peoples' campaigns.
But I also reject the idea that I can not be creative in my own fantasy creation.
After all, it's just a game. YGWV, and MGF
昔イサリーズで会ったとき、グレッグ自身が「グレッグを信じるな。」と言ってましたよ(笑)。まあ、イェルマリオ・エルマルのときと似たような感じですね。ロスカルムとロカール派はもはや異端というより異教の可能性も。
メカニズムの方をどうすると良いかという点なのですが、
・Venerate (Church’s God)は、Venerate (Church’s Prophet)に読み替える
のが一番妥当なんじゃないかなぁ、と。こうすると、Venerate は常に有限の存在に対して向けられる信仰形態であり、平信徒達が唯一神に対して直接祈る場合も、聖人に対して祈る場合も、veneration の構造を保ったまま表現できるようになります。
その上で、従来のVenerate GodとVenerate Prophetの違いが発生する場合を検証すると、
・liturgist が、
- 崇める神は同一だが
- 開祖預言者が異なる
二つの教会間を渡った場合における、その人物の秘蹟伝授能力の高低
が問題になります。例えば、セシュネラ系という点で共通のの聖ロカール教会とShip of Life教会は共に Makan を唯一神として信仰するため、Worship/Vanerate Makan は両派で共通のアビリティです。
したがって、現行のHQルール下では、ノロス公領のある司教がタニソールの圧力に屈してロカール派総大司教より按手を受けたとしても、その司教を頂点とするヒエラルキアがMakanに伝達する祈りの量には変化がありません。
一方、新しく提案するルールでは、ロカール派ではVenerate Rokar、Ship of Life教会ではVenerate Eliavar とアビリティが異なっていますから、その司教座の伝達能力は教派変更により減少することとなります。
問題はProphetがどういう存在なのか、の定義ですね。玉ネギの皮の何枚目までがProphetなのか。
崇敬と一神教 - illuminate33の日記
崇敬と一神教2 - illuminate33の日記
マルキオン教:ロカール派とフレストル派 - まりおんのらんだむと〜く+